幼少の頃より音楽を始めとしたあらゆるエンターテインメントに触れる機会を持つ。学生時代はフュージョン系サークルにもプレイヤーとして所属。→ [ 詳細 ]
ついにこの日が来てしまったか、、、という感じである。
マッコイが亡くなってしまった。
当ブログにおいて、マッコイのライブをレポートできたのはただの1回しかない。
Live鑑賞 〜 McCoy Tyner Trio Live at BlueNote Tokyo 2007
13年前のこの1回がぼくがマッコイを最後に見た日となってしまった。
ただ、ブログにこそ書けていないがぼくが上京してからこの2007年頃まで、ブルーノート東京で毎年のように見たアーティストがマッコイとマイクスターンだ。
1995年、旧ブルーノート東京時代から2010年手前くらいまでこの2人のライブはかかさず見てきた。
とりわけフュージョンサイドがスターンなら、マッコイはドジャズ、モダンジャズであり、ブルーノート東京のライブが見たくて大学を東京にして上京してきたと言っても過言ではない自分にとって、マッコイタイナーのピアノを目の前(そう、当時は朝一から並んで一番前に座れた。鍵盤まで1mもない距離でマッコイのピアノを毎年堪能した)で見て、マッコイ独特のいい香りの香水の匂いが立ちこめると「ニューヨークのジャズクラブの空気ってこんな感じなんだろう」と勝手に想像したものだ。
2000年くらいまでのマッコイのライブは、それはそれは絶好調で、例のあの流れるような爽快感のあるピアノが気持ち良すぎた。
必ず1曲目はマッコイ節全開の、トップスピードの曲をやってくれたから、もうそれだけで猛烈なカタルシスに襲われたものだ。
この頃までは旧店舗でも新店舗に移動してからも、終演後しばらくするとマッコイは出て来て、バーカウンターでお酒を飲みながら葉巻をくわえている姿が見られ、それはそれはかっこよかった。
ザ・ジャズマンであった。
これほどの偉大なピアニストでありながら、ほんとにポツンと一人でお酒と葉巻を嗜んでいたから、声をかけると気さくにサインにも握手にも応じてくれた。
そんな感じでぼくにとってもブルーノート東京初期を彩ってくれたアーティストである。
もちろん毎年見に行っていたのは、マッコイの豪快で鍵盤を舞うようなピアノが好きだったからだ。
中2くらいからすでに聴いていたと思う。
まずは、コルトレーンの1963年ニューポートジャズフェスでの「マイフェイバリットシングス」。
これは何度聴いたか分からない、いわゆる黄金カルテットのエルビンジョーンズじゃなくてドラムがロイヘインズバージョンなのだが、この時ばかりはロイのドラムがハマっている。そして御大コルトレーンの壮絶なソロがもちろん聴き物なのだがそれの露払い役としてのマッコイのピアノソロがまた良いのである。
ピアノトリオでのアルバム「Reaching Fourth」もよく聴いたし、アルバム「Time for Tyner」の「African Village」もボビーハッチャーソンのヴィブラフォンとのハーモニーが超絶気持ちよく、こちらもよく聴いた。
コルトレーンのバックで奏でるマッコイのピアノも、トリオでのピアノも、聴けば一発でマッコイと分かる弾きっぷりがたまらなかった。
「Passion Dance」や、マッコイタイナービッグバンドでの「Fly With The Wind」、マイケルブレッカーとのアルバム「Infinity」、同じくマイケルのアルバム「Tales from the Hudson」でのメセニー曲「Song for Bilbao」や「African Skies」など、好きなアルバムや曲は枚挙に暇がないけれど、実はぼくが最も愛聴したアルバムは、世間にはそれほど知られていないライブ盤「Solar Live at the Sweet Basil’s」である。
このアルバムはすでに廃盤になっているようなのだが(それこそ本人にジャケットを見せた時もよく分かっていないようだった。もちろん海賊版ではない。)、マッコイが若さと老獪さの間くらいにあってちょうど一番イイ時期のライブではないかと思っている。
’90年代にトリオで来日していた時のメンバー、エイブリーシャープとアーロンスコットは、ジャズ好きの中でもそれほど知られていないけれど、個人的にはマッコイと一番相性が合ったベースとドラムに思っている。
(何があったか知らないが、2000年代にはこのトリオは解散してしまう)
この活きの良い三人でぶっ飛ばす表題曲の「Solar」こそが、まさに初期のブルーノート東京のライブ1曲目で爽快感を味わわせてくれたマッコイを思い出させてくれるのである。
ソーラー以外の曲も絶好調のマッコイタイナートリオが聴ける。
ぜひ再発を願いたいところだ。
さて、上記の2007年を最後にぼくはマッコイを見なくなったのだが、それはリンク先のブログを見て頂ければ分かるように「見ていられない」状態にマッコイがなってしまったからである。
弾けなくなったマッコイは、痛々しく、見ていてつらかった。
何度か「今日こそは!」と思って見に行きもしたのだが、’90年代の頃の指の動きがもう出来ず、その後東京Jazzなどの映像を見てもやはり変わらず、痩せ細ってしまい、見ているのが辛すぎて行かなくなってしまったのである。
ともあれ、キライになったわけではなく、ニューヨークのブルーノートにスケジューリングされていたりしたから、ずっと演奏活動はしていて欲しいなと、無粋なファンならではの考えもしていた。
が、、、ここ最近はブルーノート東京はもちろんニューヨークでもブッキングされている感じでもなく、心配していた中での訃報。
81歳。まだまだ若い。
ハンクジョーンズやアーマードジャマルのような優しいタッチのピアノでなく、豪快なタッチが売りのマッコイだったから、晩年は弾けなくなったことに本人が一番忸怩たる思いだったのではないか。
それを考えるとやっと休めるのかな、、などと考える。
マッコイ。何度も何度も気持ちの良い、鳥肌の立つプレイをありがとう。
たくさんの作品が残っているから、それらを死ぬまで聴き続けていくことになると思う。
そしてなにより、ぼくの10代、20代、、東京に出てきたての若造に、ジャズのすばらしさを毎年味わわせてくれた。
ニューヨークの風を運んできてくれた。
ジャズとジャズピアノの歴史の一端を担ったホンマもんの凄みを見せつけてくれた。
今のブルーノート東京よりももっともっとフランクにアーティストと接することが出来たあの時代の思い出は宝物。
たくさんのありがとう!!!
安らかに。
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