幼少の頃より音楽を始めとしたあらゆるエンターテインメントに触れる機会を持つ。学生時代はフュージョン系サークルにもプレイヤーとして所属。→ [ 詳細 ]
実家にはピアノが二台ある。
二階にアップライトピアノ。
一階にグランドピアノ。
諸事情あって二台とも売られていくことになった。
急であったが出張帰りの合間に実家に寄って、ピアノたちに最後の挨拶をしてきた。
僕が幼少の頃からずっとウチにいてくれた。
僕の音楽的素養を作ってくれたモノの一つであることは間違いないことだし、こいつがあったからいろんな音楽、いろんな人たちとも出会えたのだと思う。
小中高での伴奏の練習をしてきたのもこのピアノだし、
いろんな曲をコピー、研究してきたのも、最近では結婚式で弾いたピアノの練習もこれでやってきた。
帰省したら常にあって、いつでも弾けたものがなくなるのはさすがに悲しいものだ。
が、自分の能力が無くなってしまうわけではないので、
この子達に感謝しつつ、いつかまたピアノを思う存分弾けるような環境に住みたいな、なんて思う。
感謝の意味を込めて、
ピアノを習っていた当時に弾いていたソナチネ、ソナタからaiko、キリンジ、結婚式で弾いたミスチル、チャゲアス、
そしてパットメセニーまで色々弾いて別れを告げました。
なんか気になる。
別に今始まったわけではなく、けっこう前から「なんか気になる」。
Perfumeの存在である。
あの曲。
あの振り付け。
あのビジュアル。
なんだか切ないメロディー。
完っっっ全な口パク。
別にアイドルというわけでもなし。。。
すべてをひっくるめて気になる。
ほんっまにプロデュースが上手いな~というか、時代に完全にハマったというか。
中田ヤスタカ氏のあの曲もなかなかよいのである。
先日知人とも話していたのだが「なにげに旋律がよくできている」。
新曲の「love the world」のベースの進行もなかなかによい。
川村結花さん(夜空のムコウの作曲者ですね。)をもってして、
ご自身のブログの中で「Perfumeのアルバム内の曲、マカロニを聞いていて泣けてきました」と言わしめる。
先日一緒にセッションしたのはけっこう「おっちゃん」達なのであるが、
たまたまPerfumeの話題になって驚いたことにみんな気になると言っていた。
一人の人は買う寸前までいったそうだ。
なんだ?楽器好きやフュージョン好きがハマるのか?
しかもレコード会社は徳間ジャパンというではないか。
演歌系を除けば(否、入れても)徳間にしたらこのCDの売れへん時代に大きな掘り出し物を見つけ出したって所でしょうな。
ボ・ディドリー逝去。
ロックンロールの生みの親の一人とされる。
僕がこの人を知ったのは、バンドブームの頃で高校生くらいだったか。
当時好きだったバンドはいくつもあるが、その一つに「ボ・ガンボス」というバンドがあった。
そこまで大ヒットはなかったけれど、演奏力と曲の完成度の高さでなかなか人気はあった。
このボ・ガンボスの「ボ」こそが「ボ・ディドリー」から付けられたものであり、
のちに彼らはボ・ディドリーとの共演も果たし、CDも出している。
ローザ・ルクセンブルグ、ボ・ガンボスというバンドを作った希有なアーティスト「どんと」氏は、
2000年に38歳の若さで沖縄で永眠。
未だにどんと氏は語り継がれ、僕の中でも強烈な印象を残しているアーティストの一人だ。
その「どんと」氏が敬愛するアーティストがディドリーであった。
1955年から第一線でやっているのだから、あらゆるロッカーが少なからず影響を受けているであろうミュージシャン、ボ・ディドリー。
数年前にブルーノートにも来たっけな。見ておけば。。。の思いもある。
今頃天国で多くのミュージシャンとセッションしてるであろう。
合掌!!
サザンが活動を休止宣言した。
まぁ今までも、KAMAKURA以後結構なスパンで休んだり、
桑田佳祐名義での活動期間も長かったりはするけれど、ここまで正式な形では初めてのようである。
かくいう僕も熱烈なサザンファンというわけではないのだが、
やはり何枚かアルバムは持っているし、桑田氏は凄い!と常々思っている。
かの明石家さんまさんですら、「あなたが思う天才は?」の質問に「桑田佳祐」と答えるほどである。
桑田さんが自分の楽曲に関してどう思っているのかは定かではないけど、
僕はいわゆる「いとしのエリー」だとか「TSUNAMI」いう甘い歌を否定するものではないし、
それはそれで好きなのだけれど、実は桑田さんの、というかサザンの本当に凄い楽曲は別にあると思う。
シングルでいうなら「女神達への情歌(報道されないY型の彼方へ)」なんかは1989年作とは思えぬくらい今聞いてもかっこいいし、
「メリージェーンと琢磨仁」も独特、アルバム「KAMAKURA」の中の楽曲はどれも良いが、中でも「顔」などの変拍子リズム/歌詞などは強烈で、こういった曲達こそが、もっと評価されてもよいのではないか…と思ったりするのである。
また、いつの日かサザンは聞けるし、人類滅亡の日までサザンの曲は売られ続けるでしょう。
最近で言うなら、桑田さん名義の「ダーリン」も好きやなぁ。
本牧埠頭で泣いてWalking~。
別に横浜にそこまで馴染みがあるわけでもないのに歌ってると泣けてきます。
タワーレコードで試聴をいろいろしていたら、久々にぶっ飛んだ。
フュージョン系の音楽が好きな人には有名だったのかもしれないが、すいません、僕は知りませんでした。
Sam Kininger(サム・キニンジャー)というSax奏者の「Anthem」というアルバム。
これはヤバい。
Funk Fusion作品。
正直、参加しているメンツも僕は知らなかった人ばかりだが、全員ゲロテク奏者ばかりではないのか。
とにかくキメの多いフレーズを高速で演奏する。恐ろしいファンク作品。
ちまたではメシオパーカーの後継者と言われているそうだ。
びっくりしたのは、ニッキーグラスピーという女性ドラマー。
正直、この人の事も知らなくて、22 歳ながら今やビヨンセのツアードラマーらしく、パワフルでゲロテク。
ちょっとこれは生で演奏を見てみたい。
この子はビヨンセのツアーリハの都合で、数曲しか参加していないのだが、圧巻は表題曲の「Anthem」。
リハを終えてスタジオに着いたのが23時過ぎ。スタジオに到着するや否や、
ボストンバッグから冷えたウオッカをグイッとラッパ飲みして皆で回し飲みしたあと、
リハなしで録音したのがこの曲らしい。
それで、この高速曲のこの完成度はなんだ?!
要注目の人達である
本日キリンジニューアルバム「7」発売。
先週の週刊文春。
好きな評論家の一人である宮崎哲弥氏の連載「仏頂面日記」の冒頭「キリンジ、ご存知ですか?」の小見出しのあと、キリンジについて書いておられた。
有名人で「キリンジが好きだ」という話を初めて聞いた。
宮崎さんほど、本当に幅広くあらゆる分野をカバーして評論出来る人はそうそういないと常日頃から感心しているのだが(ものっっっすごい読書量だそうだ)、まさかキリンジ好きとは。
キリンジの堀込兄弟も相当な読書家だそうで、まぁ確かにそうでないとあれほどの歌詞は出てこんわなぁ。
「千年紀末に降る雪は」「雨は毛布のように」「地を這う者に翼はいらぬ」「あの世で罰を受けるほど」「朝焼けは雨のきざし」
曲の題名がそのまま本のタイトルのようだ。
ジャズピアノの巨匠オスカーピーターソンが亡くなった。。。
アートブレイキーが僕をJazzの世界に導いてくれた人なら、オスカーピーターソンはジャズピアノの楽しさを教えてくれた人であり、ドラマー以外のジャズミュージシャンの中では最初に好きになった人ではなかろうか。
とにかくピアノの88鍵をダイナミックに弾きこなす壮絶なテクニックもさることながら、なにより陽気に、楽しそうに音楽をやる人であった(その裏では自分もバンドも相当な練習をしたようで、ライブ後、すぐにメンバーを集めて練習したというエピソードもある)。
恐らくピーターソンを知らなくても、どこかの料理屋や喫茶店なんかで流れてくるJazzの中でピーターソンのピアノの音を聞いたことがない人はいないんじゃないだろうか、という人だ。
去年はクリスマスにJBが逝き、今年は23日にオスカーピーターソンが逝ってしまった。
今年はマイケルブレッカーの死も衝撃だったが、オスカーピーターソンは死が近いと分かっていたとはいえ、やはり残念でならない。
でも、
ピーターソンの音楽は絶対に残っていきますからね。
人類が滅亡する日までレコード屋の店頭には並んでいることでしょう。
ピーターソンは「プリーズリクエスト」や「カナダ組曲」、まぁ枚挙に暇がないほど有名盤があって、どれも愛聴してますが、僕的にはやはり’90年にNYのブルーノートでライブ録音され、グラミー賞にも輝いた「ライブアットブルーノート」が好きです。もともと4枚分割して発売されましたが、今は1セットで発売になってます。
この時のブルーノートライブは、ピーターソンの多少陰りは見えつつもそれでも早弾きは堪能出来るし、円熟味の味わい、ライブの楽しさも加わって、丁度バランスの取れた作品だと思うのです。
サイドメンがレイブラウンとハーブエリスなので言うことなし。
ピーターソン、今頃天国でレイブラウンと再会して演奏してるんやろうなぁ……合掌ありがとう。
日曜のことになりますが、楽器フェア2007に行ってきました。
東京モーターショーとかゲームショーとかには遠く及びませぬが、それでもパシフィコ横浜を借り切って2年に1回やるという、なかなか盛大なイベントです。
いわゆるメジャーな楽器は言うに及ばず、なかなか普段は接さない和太鼓屋だのエジプト楽器屋だの貿易商が出店したりします。
まぁ僕は基本的にはドラムやパーカッション系のブースでウロウロするわけですけれども。
エレクトリックドラムは叩いた感じが、圧倒的にヤマハよりもRolandのV-drumの方が良かったです。
そしてコイツ
これも楽器だそうで「ケロミン」というらしい。口を開いたり閉じたりすることで音階を調節するという…。
結構マスターするのが大変そうな割には、色物の域を出ない感じの代物ですな。
それなりに各ブースにミュージシャンが来たり、別の場所を使ってライブがあったりしたようですが、まだまだ浸透度が低い気がするイベントです。
もっと大物ミュージシャンがゴロゴロいたりするようでないと盛況にはならんでしょう(もっともあまり盛況になられすぎると困るが…)。
アメリカなんかのイベントだと、トップドラマーはゴロゴロ来るわ、果てはスティービーワンダーまで来たりするらしいですからねぇ。
あと、YAMAHA、Roland、KORGといったメーカーのブースは巨大なんやけど、例えばドラムで言うと、PearlやTAMAといったメーカーのブースがなく、まだまだメーカー側も参加出来ていない現状を垣間見ました。
シンバルケースを買いました。
いわゆるシンバルメーカーのケースではなくて、もともとサーフボードのケース屋がドラム用にケースを作ったということです。
protection racketと言います。
日本のトップドラマーは結構使い出してるようです。
写真では分かりづらいですが、結構頑丈です。
中は、フリース製になってて、湿気にも強く、区切られているので何枚も入ります。このパーテーションは着脱可能。
サイドポケットも区切られていて、こちらはハイハットやスプラッシュシンバル入れになってます。
リュックみたいに背負えます。
さすがに背負うと、仙人みたいだ。
でも車がない僕は、スネアにペダルに、その他スティックだのなんだの持って、さらにシンバル持って自転車を漕いだりしていたので、シンバルを背負えるとかなりラク。
改札は横歩きせんとつっかえて前に進めなくなりそう…。
ジルジャンシンバル派の僕は、やはり本当はジルジャンのロゴが欲しかったりしますが、この丈夫さと便利さに負けてprotection racketにしました。
これが今までのジルジャンケース。もちろん捨てはしません…
土曜日のこと。
とある用事があって、東京に来て13年目にして初めて大久保にある石森楽器へ。
石森楽器とは、国内外のそれはそれは、多くの管楽器奏者が御用達にする管楽器専門店です。
外人ミュージシャンも来日するとわざわざチューニングに預けにくるぐらい。
さて、管楽器をよく知らない僕は、とりあえず入店して入り口付近にあるポスター等々を見ておりました。
すると、聞き覚えのある声が。。。
学生時代のフュージョンサークルの一つ下の後輩 Y氏ではありませぬか。
単身赴任で大阪から東京に来ていたのは知ってましたが、まさかこんな所で遭遇するとは。
9年ぶりであります。
彼は、ビッグバンド界の甲子園、山野ビッグバンドジャズコンテストで優秀ソロイスト賞を受賞するほどのサックスの腕前を持ちつつも今はM放送の社員。
そして、僕が卒業してからのもう一つの顔としては、スティールドラム(正式にはスティールパンという)に目覚め、日本のスティールパンの第一人者、原田芳弘氏の一番弟子なのであります。
スティールドラム。中南米の島国トリニダードトバゴの楽器。
ドラム缶をガンガン叩いて作成され、音階が出る。
今でこそだいぶ日本でも馴染みになってきて、各地でスティールパンのバンドが出来ていますが、Y氏が始めた頃はまだまだ演奏者も少なく、楽器も手に入りにくく、調律師は未だに日本にはいないそうです。
原田さんに弟子入りして出来たバンドがパノラマスティールオーケストラ。当初は5人ほどだったそうなのですが、今や30人を超える大所帯バンドで今年はフジロックにも出たそうです。
当時5人でやってた時代からのY氏の友人が池袋でその日にライブをやるからモグワイさん行きませんか?と誘われたので、当然の如く参戦。
この日は2人+パーカッションでの演奏。
初めて生のスティールパンの演奏を目の前で見ました。
なんとも言えん綺麗な音色。新鮮な刺激でございました。
まぁ楽しそうに演奏すること
確かに見てるのも楽しいが、やった方が楽しいかも。
ちょっと演奏してみたくなったけど、やっぱりドラムをもっと練習せねば。
でもちゃっかりパノラマスティールのCDを買って帰って参りました
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