幼少の頃より音楽を始めとしたあらゆるエンターテインメントに触れる機会を持つ。学生時代はフュージョン系サークルにもプレイヤーとして所属。→ [ 詳細 ]
世間は音楽聴くのもサブスク全盛であるけれど、ぼくの場合はそのサブスクにすら入ってへんような曲を聴きたかったり、そもそも自分だけが持っているものもあるので、itunes matchで自分の曲たちを管理してWi-Fiで引き出して聴いている。
必然、入れるだけ入れてあるものの「聴いてない曲」というのが存在し、シャッフルであらゆる曲をゴチャゴチャに再生して「こんな曲もあったんか!!」と自分で入れておきながらびっくりしたり、曲を発見したりすることもある。
先日、いつものように我がiPhoneさんのDJに曲をシャッフルさせて、雑務しながら様々な曲を聴くともなしに聞いていた。
ある曲がかかった。
明らかにパットメセニーのギターの音で、ゆっくりしたバラード。
まぁ作業のBGMにはちょーどいい感じ。
で、曲の終盤になってから、、、
「え???ちょっと待て、ちょっと待てよ、この曲、もしかして。。。」
で、もう一度最初からちゃんと聞いてみる。
間違いなかった。
20年(正確には21年)かかって探していた曲だった。
1999年12月13日〜19日にパットメセニーがブルーノート東京で日本初の公式クラブギグを行った。
ブルーノート東京では、数えきれないくらいライブを見てきたが、この時のメセニートリオ(パット・メセニー〜ラリー・グレナディア〜ビル・スチュワート)の演奏は今でも強烈に記憶に残る名演。
メセニーはその後もブルーノート東京には何度も出演するようになるし、そのどれもがクオリティ高いのだけれども、ぼくの中では一二を争うライブ。
天に召されたライル・メイズが唯一、そしてメセニーグループとして登場した2008→2009年の年跨ぎライブと双璧で、それでも敢えていうなら、最初の衝撃という意味でも’99年のこのトリオが上なくらいである。
(余談だが、メセニーが組んできたあらゆるトリオの中で個人的にはこの3人がベストだし、とりわけドラムに関してはビル・スチュワートとの相性がいい(グループでもドラマーを努めたアントニオ・サンチェスは例外)。ビルスチュはジョン・スコフィールドのお抱えでもあるけれど、ジョンスコとメセニー、ピーターバーンスタインといった全くタイプの異なるギタリストの誰とも上手くやれる特殊なドラマーである)
ジャズクラブにメセニーが初登場ということもあり、当時のブルーノートは朝から並べば最前列で見れたこともあって、早朝から防寒具を用意して店の前に並んだ。
ライブ開始の12時間以上前である。
でも、地球上でもトップクラスのアーティスト/ミュージシャンの演奏を自分の目の前1m以内で見られるのなら、12時間前なんて朝飯前でしょう。
そして、ライブ開始。
白熱。
オーディエンスも大盛り上がり。
本編ラストの、メセニートリオライブでは定番である「Question&Answer」に至っては、ビル・スチュワートの壮絶なドラムソロ、メセニーの咆哮ギターシンセソロも重なって、それだけで20分強の演奏。
通常ブルーノート東京は1日にファーストショー、セカンドショーと客を入れ替えて2回ライブを行い、アンコール含めてだいたい75分くらいが演奏時間の目安なのだが、この時のメセニートリオは一つのショーがゆうに2時間、盛り上がればそれ以上演奏していた。
(この頃のブルーノート東京セカンドショーでは、終電に間に合わない客が途中で退席する姿もちらほら見受けられたほど、ライブが盛り上がれば23時半を過ぎてもまだライブをやっていた。)
(2018年ブルーノート東京30周年の際に発行されたBlueNote JamSession誌面より)
さて、本編で強烈に盛り上がり、当然の如くアンコールの拍手鳴り止まず。
そのアンコールに応えて、メセニーは1人で登場し、おもむろにアコースティックギター1本を抱えた。
最前列に陣取ったぼくの目の前、1m以内のところでメセニーがアコギ1本でバラードを爪弾く。
これが、美しい曲だった。
が、メセニーの曲を聴いてきているはずなのに、知らない曲だったのである。
普通、知らない曲を即座に頭の中に覚えるなんて、録音やその場でメモでもしてない限り無理だ。
ただ、この時はあまりにもライブそのものが良かったのと、本編最後の「動」から一気にアコギ一本の「静」への変化、美しい旋律を覚えよう!という気持ちで、感動して聞き入りつつも脳内にモチーフのメロディを叩き込んだのを覚えている。
家に帰って、片っ端からメセニーのCDを聞いて、探したが見つからない。
なにしろ時は1999年末。
今のようにitunes storeやサブスクもあるわけがなく、「持っているか、いないか」の時代。
ついぞ見つからなかった。
その後時は流れ。。。
2021年1月初旬に突如として自分のiPhoneからあの時のメロディが流れてきたのである。
その曲の名は「The moon is a harsh mistress」。
もちろん曲名を知ったのもこの時点で初めて。
パット・メセニーと今は亡きベーシスト チャーリー・ヘイデンがデュオで発表したアルバム「Beyond the Missouri sky」(邦題はミズーリの空高く)に収められていた。
このアルバムはライブが行われた時点では所有しておらず、2000年代にあらゆるJazzのCDをあちこちから借りたりして、itunesに入れるだけ入れまくっていた時に入ったのだろう。
いや、その時も聞いてるはずなんだけれど、基本的にノリノリの曲、アツい曲が好きな自分としては、じっくりしっかり聴く事をしてなかったんだと思われる。
あとは「あのライブで演奏したアンコールのあの曲は、メセニーが即興で演奏したものなんだ」と勝手に思い込んでいたのもあったのかもしれない。
いろいろ調べると「The moon is a harsh mistress(月は無慈悲な女王)」というのはもともと1960年代に出されたロバート・A・ハインラインによるSF小説らしく、なんと歌詞もあるということが分かってきた。
最初に歌ったのはジョー・コッカーなのだそうだ。
そして、その後もいろいろなヴォーカリストが歌っている。
そんな曲をメセニーがカバーしたわけである。
いやはや、死ぬまでに「あの曲」がなんだったのか、分かって本当に良かった。
ここまでハードルを上げておいて、いざ聴いてみると「そんなに良い曲か?!」と思う向きもあろうけれど、これを目の前でメセニーに弾かれてみなさい。
ノックダウンしますって。
Radka Toneffの歌う
「Moon’s a Harsh Mistress」
Pat Metheny With Charlie Haden
「The Moon Is A Harsh Mistress」
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