エンデバー

最近、何年も会っていなかった友人と久しぶりに話をした。

彼がそれをずっと続けているとは思わなかった。

見えないところでずっと努力を続けていたこと。

すごいと思うよりも、なぜか自分を責めるような気持ちになった。

 

できれば、努力などしなくてもよいのだと思う。

必要だからするもので、努力とかいう言葉は大嫌い。

でも、なにか引っかかる。

不思議な言葉である。

 

すべての事は、それが許されている限り必然。

せっかく優秀でも、それを活かすのが善ではなく。

努力は義務でもない。

適当に楽しくやるのも、その人にとって適切ならそれが正義である。

それぞれ、自分に許された範囲で自分に適切な最善を尽くせば良い。

極論、働かずにいきていけるならそれも正義。

全員がノーベル賞を目指す必要はないのである。

 

許された80年をどう生きるのか。

それを考えている間に80歳を迎えるだろう。

ただ誰にも見せない努力に、私はとても男の美学を感じるのである。

 

そして、

この胸の違和感を解消するために、できるまで、ひたすら繰り返すしかないのである。

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