原理原則から

株式会社Get A lifeにおいて、さまざまな人たちの相談を受けるうちに見えることがある。

いうまでもなく現代社会は、人類がこれまで経験してきたどの時代よりも構造的な変革が、これまでとは比べ物にならないくらいのスピードで進んでいる。

誰もがIT革命が産業革命以後、もっとも大きな社会構造の変化をもたらすことを知りながら今後の発展を完全に予測するのは不可能であり、そのスピードはこれまで人ひとりの人生の中では起こり得なかったものである。

私が司法試験を受験していた頃には、試験にうかればもう特権階級として安泰に暮らせると信じていた。

先日、トムソンロイターの関連企業で法律事務所にデータベースを提供している会社の代表の人とお会いした時に、月々わずか数万円のデータベースの使用量を払えない、弁護士がたくさんいることを聞いた。

もはや聖域はなく、複雑に絡み合いながら発展していく社会に対応できない人も出てきているのである。

これからますますこの傾向は続くだろう。

現在、外資系IT企業専門のヘッドハンターの仕事もしているので、テクノロジーについてはつねに勉強をしている。

ここでも、人のキャリアに関ることをしているので、また別の視点から人の生き方、生業、キャリアについて考えるようになった。

そして、考えたひとつの結論は、やはり原理原則から物事考えていくという方法論である。

一見関係ないように見えることも、これまでの人類の歩みから紐解くことによって見えてくることがあると思う。

人類誕生以来、文明は偶然のように見えて実は合理的な法則によって発展してきたことは自明だからである。

そこは広い意味で、つねにテクノロジーに合わせて発展してきていて、それには生身の人間の性質が関与しているという簡単なことの積み重ねであったように思う。

自然や気候から社会のシステムが決まり、それにふさわしい例えば農耕社会にはそれに適した社会ができ、その場所の気候によって、発達する文化が違う。その統治のシステムとして宗教が生まれ、統治のシステムに他のテクノロジーが発達してくれば、当然宗教のもつ役割も変わる。

産業革命以降も、発達を続けてきた社会がネットワークでつながり、そこにあらゆるテクノロジーが複合生成されていく。人の生業についてだけ見れば、これまであらゆる職業が淘汰されてきたのは今にはじまったことではない。違うのはスピードである。

一人の人間のキャリアの真ん中で、これまで必要とされてきた職業的専門性が必要のないものとなってしまうのである。

不安的な時代を迎えている。何十年かしたらまた前提の変わった社会の中でそれなりの平穏がおとずれるだろう。しかしながらちょうどコペルクス的変化を経験しなければならない我々の世代は、個々の人間が生きるうえで、さまざまな取捨選択が必要となる時代を迎えつつある。

そこで、いたずらに流されるよりもこれまでの人類が経験してきた発展に鑑み、原理原則から未来を考えた人生(キャリア形成)の方法論を共有することを目的に自らの新しいプロジェクトのための準備をしている。

 

青木 真行

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