Ground

すべては、大地から始まる。
日本が今のような歴史を歩んだのもこの土地のおかげだ。

アジアモンスーン気候に属する日本。
毎年、必ず台風がやってきて川の水が溢れる。
今のように堤防もない大昔。
それは水害をもたらすだけではなかった。

農耕するための土には寿命があるが、
台風によって定期的に新しい肥沃な土が洪水によって運ばれてくる。
そして川が多く、水資源が豊富なこの国は稲作ができた。
こういう条件が揃ったことで、日本人は農耕民族となったのだ。
農耕民族は、狩猟採集民族にくらべて安定した社会を築くことができる。

一方。ヨーロッパなどの枯れた土では稲作はできないので止むを得ず麦を作った。
麦はそのままでは食えたものではないのでパンの登場だ。

歴史や社会構造に気候など関係なさそうにみえて、実は大ありだ。
水田を中心とした農耕社会を支配するのに都合のいい宗教が日本式の仏教であったのだろうし。

気候や土が悪く、あまり農耕できないヨーロッパ地域では生産力を管理するために、ローマカソリックによる囲い込みが必要だった。

もっと土地の悪い、砂漠みたいな気候のところにはより強い宗教が必要だった。
イスラム教の厳しさはそういう土地で生きるのに適していたのだろう。
自然と歴史は切っても切れないのだ。

さて今、私の前にはレザーのベルトがある。
MADE IN ITALYだけれど、とくにハイブランドのものではない。
それでも、イタリア製のレザー製品にはそれにしかない魅力がある。
これも気候やそこから生まれ文化が深く関わっている。
原材料。
同じ牛でも様々だろう。
これには食が関連してくる。
仔牛のXXXとかいう料理はフランスやイタリアなどのラテンの国に多い。
子供の牛を食べてしまうのだ。美味しいからというのが出発点なのか、
宗教的な理由か、成牛まで育てるほうがコストがかかるのか。
あるいは成牛に病気が流行ったのか。
ルーツは知らないが仔牛で食べる文化がある。
今のように装身具のために牛を育てることもなかっただろう。
現代より食料事情が遥かに悪い社会。

まずは食用。

そして副産物として皮革を利用する。
まずは食だったはずだ。
だからイタリアのレザーは柔らかいキップやナッパが存在する。
もちろん成牛(ステア)の革もあるだろうけれど。

そして、今のように化学素材や薬品がない時代だ、
皮をなめして革にするために使われたのは、植物の樹脂からとれるタンニンだ。

このタンニンをとる植物も地域差が出た事は間違いがない。
イタリアのレザーはやはりイタリアでしか鞣せないのだ。
無理に中国で作ろうとしたら、余計にコストがかかる。
鞣したものを中国で縫製することならできるだろうけど。

一方。イギリスなどで主流なのは成牛の革だ。
まず食が先だとしたら、イギリス人は成牛のステーキを食べるからだろうか。

勉強不足でよくわからないけれど、多分気候や文化から生まれる違い。
イギリスの靴は硬い革でがっちりした作りだ。
これはイギリスが天気が悪いからという考え方もある。

逆にイタリアは天気がいいからマッケイ製法のような軽い靴が作られる。
そういうことを書いている雑誌も多いけれど、
私は先に食や文化があると思っている。
もちろん製法に気候は反映されるだろうけれど、
21世紀の常識で過去の事を解釈すべきではないと思う。

19世紀まで、あるいは20世紀まではまずは食だ。
食料が飽和している時代なんて恵まれた国でもまずここ200年ぐらいだろう。

現代でも食料不足の国があるけれど、そんな状況で、天気がいいから柔らかい皮で作った軽い靴がほしいなんていっていられないだろう。

腹が減る。あるいは性欲。人は眠気には勝てない。
そういう本能から考える。
そして当時の倫理や社会構造のレベルから考察すれば、どの歴史も作り話が多い事に気づくだろう。
それぞれの利益のための正義。
これだけ発達した世の中でさえ事実がすり替えられる。

これも人間が本質的にもつ習性だ。
当時の人はもう生きていないし印刷機すらなかった時代のことは今となっては分からない。
私だって都合の悪い事は上司に隠したものだ。
これだけ情報技術が発達しても真実は隠されるのだ。
さらに正義はむずかしい。
自信満々に言える人は嘘つきだ。
100%正しい事などない。

 

正義を突き詰めると何も食べられなくなる。
人間は生来罪深いと考えるのも哲学。
地球は食物連鎖なくして成り立たないと考える。これは科学。

牛を神聖なものとするヒンズー教徒は牛の革のものは身につけないとか、
豚は汚れた動物だとしてユダヤ教徒は食べないとか、今でもまだ近代以前の歴史に拘束された文化がある。
それを悪い事だとは思わないが、突き詰めれば対立が生まれるのだ。
バランスが大切で、他人を認める姿勢が重要だと思う。

そのためにみんな自由に表現し合うのだ。

変わる事のない人間の本能や自然。気候までたどって社会の因果関係を理解する。

そういう態度が常に必要だと感じている。

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