憲法記念日に思う

私は10年以上前、司法試験を受験した。

もちろん不合格だから今こうしている。

 

憲法が好きだった。

基本書と呼ばれる学者の書いた本を何十回も読んだ。

その中でも、東京大学の芦部信喜先生が書いた本は数えきれないくらい読みこんだ。

行間に詰まった憲法スピリット。

受験勉強として読んでいたというよりも、趣味で読んでいたようなものかもしれない。

 

コンパクトな本なので行間を読んで感動するには他の基本書が必要だった。

それどころか、馬鹿な私はマックスウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』とか、

J.Sミルの『市民政府二論』。ルソーの『社会契約論』。

はては、うっかりホッブスやアダムスミスまで読んでしまった。

そんなことをしていては、試験に受からない筈である。

 

だが、この頃の勉強は素晴らしいものをたくさん与えてくれた。

今思い返しても、これらを理解せずに歴史を語ったりしていた自分が居たか思うとぞっとする。

憲法記念日なので愛用のポケット六法で憲法全文の後段を読もうと思って探したが、

引越しの時に失くしてしまったみたいだ。

学部で勉強していた頃、戦後日本政治史が好きで、やれマッカーサー草案だ、やれ松本案だとかいろいろ憲法制定の経緯を勉強した。

しかし、制定の経緯はどうであれ主権の存する国民の意思で選ばれた代表が立法府にてこれを憲法としたのだ。

(私は8月革命説でいいと思う)

 

まずは制定を認めて、適正な手続きで改正すればいい。

 

政治性の絡んだ憲法議論は別として。

 

 

そんな事よりも、この美しい憲法前文。

たとえ噓から出たものでも、理想主義だと言われてもいい。

とにかく人類の叡智がつまった美しい文なのだ。

 

以下 日本国憲法前文の後段。

 

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

Beautiful!

そして無敵の97条

 

第九七条【基本的人権の本質】
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

 

 

私は右でも左でもない。(やや保守よりかも)

けれど、未来の日本のために自らの命を賭して戦った先人に感謝しなければならない。

亡くなった方々の犠牲のもとに、今の日本がある。これは右とか左の問題ではないのだ。

 

さらに言えば、現代の社会は人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、

過去幾多の試練に堪え。。。と上の97条にあるように人類が生まれたときからずっと、ずっと。

それこそ気の遠くなるくらいの時間。

多くの人々が、様々な理不尽に堪えて、堪えて、堪えて獲得したものだ。

ある人は権力によって故意に、えん罪をでっちあげられて、公権力によって命を奪われた人もいただろう。

そして戦争で亡くなった人。いわれのない差別を受けた人。

 

私は今。こうした、多くの人々の犠牲の上に、

自由を手に入れて生きている。

 

そしてそれを、侵すことのできない永久の権利として『信託』されているのだ。

 

私はちゃんと生きているだろうか。

 

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