最近。
アメリカでまた銃による深刻な事件が起こった。
銃社会アメリカを否定するのは簡単で、おそらく批判されるべきなのかもしれない。
銃規制の是非はともかく、これはもっと構造的な問題が含まれている。
日本においても、たとえば行政が防犯の目的でカメラを設置しようとすると、
管理社会だの、プライバシーの侵害だの、行政権の不等行使だという議論が出てくる。
国名を名指しするのはよくないが、
朝鮮や中国などの国であればそれはそのまま行政権力による管理社会に利用されてしまうだろう。
しかしそれは、正しい力が勝っている社会状態なら、
おそらく防犯のために素晴らしい成果をもたらすだろう。
私たちは、今いる社会を天賦のものとして捉えてしまう傾向にあるが、
今ある価値観や法体系は20世紀初めまで続いた、
行政による人権侵害を抑制する方向で組まれている。
アメリカにおける銃を持つ権利も、本来は自分の生命財産を行政権ないし他人から護るために与えられた権利だ。
(銃産業が力を持っているというような現実論はここではおいておく)
この権利も、正しい力が強い時代には、逆に悪いものに力を貸してしまうことになる。
その社会の中身によって、是非が逆転してしまうのだ。
思うに、かつての産業革命が宗教や社会制度を大きく変えたように、
ここ数十年のITの発達などに伴う社会構造の劇的変化による、
第二の産業革命が起こっている真っ只中に今、私たちはいるのだと解する。
決して、今の価値観がゴールではなくこれからもどんどん社会は変わっていくだろう。
今、話題の憲法9条の改正問題にしても、平和な世の中ならば9条は素晴らしいものだし、
情勢が不安定になれば、最悪のものになってしまう。
国民の生命財産を守ることは、
19世紀の夜警国家ですら負っていた国としての最低限の義務であろう。
21世紀に入り、私たちの社会もまた新しい社会構造のステージへと向かっている。
あらゆることは変わっていくものなのだ。
諸行無常というやつである。
私たちは、そろそろ20世紀の価値観から抜け出さなければならない。
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