逢仏殺仏 

『おもしろい事をやってやろう』

私はいつも何かに悩むとそう思う事にしている。

禅僧のようなことを言うが、すべてはかりそめ、いっさいは『空』なのだ。

皆、それぞれ自分に与えられた運命の中で精一杯生きて行くしかない。

生まれて数十年で人は死んでしまうのだから。

それでも、ベストを尽くしても周りの人達に理解を得られない事も多いだろう。

ただ、理解が得られないからと言って何もかも諦めていては何もつかめはしないのだ。

情熱をもって、誠意をもって説得するしかない。

言い訳は色々あるだろう。

自分の信じたことをやっていないと、その時は一度うまくいっても必ずまた問題が起きる。

その時には問題はより深刻になっているだろう。

社会がどんどん変わっていっている。

どの道。

戦いからは逃げられないのだ。

考えようによっては有史以来、もっともいい時代だ。

今の日本人なら皆、300年前の王様よりもいい生活をしているはずだ。

まず、冷暖房。豊かな食事。車。電車。

そして薬や医療技術。 書き出せばきりがないだろう。

価値観も多種多様の生き方が認められている。

同性で結婚している人さえいるのだ。

これだけ、『生き方の自由』というインフラが整備された世の中。

年齢がどうとか、学歴がどうとか、親が反対しているとか、そういうことは言い訳にはならない。

実際。難しいことも多いだろう。

けれど、問題を解決をする為の行動をしているかを自問する必要がある。

あるいは、それは我が儘だといわれるかもしれない。

そして悩みの袋小路に入ってしまう。

あげく、病気になってしまうのだ。

問題が八方塞がりなら、少し無茶でも突破口をみつけてこじ開けなければならない。

悩んで病院にいけば、おそらく一度診療にいくだけで簡単に鬱病と診断されて薬をもらうことができるだろう。

けれど、置かれた状態は何もかわらないのだ。

物理的に変わらなくても、価値観が変わるだけで解決することもあるかもしれない。

社会が不景気なので、そうとばかりは言えないかもしれないけれど人を悩ませているのは結局人だということが多い。

不景気にしても、経済学的な意味での好景気、不景気という問題ではないだろう。

社会の構造が変化しているのだ。

それは、ルールが変わったということを意味する。

会社は潰れるし、業績が悪ければ解雇もありうる。

おそらく、高度経済成長の神話時代の人達の人生設計は会社が潰れることを前提に組み立てられていない。

これからは、職場がなくなることをはじめから想定して人生を設計しなければならくなるだろう。

誰もが家庭を持てなくなることも、当たり前の社会になってくる。

色んな人が、それぞれの立場で生きて行くしかないのだ

 

その中で、自分の目的を見つけて人生を生きる。

 

時にはリスクを負ってでも前にでなければならないこともあるし、時にはそこから逃げ出さなければならないこともあるだろう。

そして選択の自由がある世の中である分、自分の全身全霊で考えて選択していかなければならない。

 

ジョン スチュアート ミルによると、人間の能力は知覚、判断力、識別感覚、知的活動、

さらには道徳的な評価さえも、何かを選ぶことによってのみ発揮される。

何事もそれが習慣だからという理由で行うものは何も選ばない。

最善のものを識別することにも、希求することにも習熟しない。

知性や特性は筋力と同じで使う事によってしか鍛えられない。

世間や身近な人々に自分の人生計画を選んでもらう者は、猿のような物真似の能力があれば、

それ以上の能力は必要ない。

自分の計画をみずから選ぶ者は、あらゆる能力を駆使する。

これからは自分で考えて決めて行かなければならない時代なのだ。

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